■仕手株の概要
仕手株はマーケットが低迷期においても注目を集める動きをし、市場が上昇相場に転換する時も、一般の成長株と
同じように最初に噴き上げる動きをします。成長株・優良株・中・低位株・材料株の循環買いにはさまって活躍を続け
るものであるだけにその特徴を知っておくことも必要かと思います。
仕手株は一部の仕手筋のみが仕掛けるとは限らず、特別・特殊な成長材料によって、目先的に激しい値動きで仕手
化され、全員参加型の大相場となることもあります。
仕手株に共通していることは、取り組みの厚いことと、信用取引の売り買いが特に多いことです。その対象も資本金
が小さく値動きの軽いものが対象になりやすい面があります。しかし、成長材料の大きいものは資本金が大きいことは
それほど影響を受けないことがあります。
ただ、成長株・優良株でも、新しく出た材料によっては、玄人筋の強烈な仕掛けと雷同買いによっては仕手化すること
があります。
また需給関係によって、株価の踏み上げを期待して噴き上げることもあり、この場合も取り組み妙味から仕手化したと
いうことになります。
仕手株については、特別な成長材料によって買いを集めているのか、需給関係によって仕手化されたものかを見極め
ることが必要となります。
余談になりますが、一部の成長株や値がさ株・仕手株を好む人は、二部やヘラクレス・マザーズ・ジャスダック等へ
の投資を好む傾向があるようです。
これらのマーケットで成長性のあるものは、一部の成長株と同じように魅力があり投資対象となり得るからです。それ
は成長性も大きく、有・無償の期待も大きいことなどが挙げられます。投資のポイントとしては、成長株の条件を持って
いるものを選び、株価が調整局面で下降し低迷している時に仕込むということになります。、反騰局面ではそれなりの
リターンを期待できる銘柄であるということが最も大事な条件となります。
■仕手・仕手筋
「仕手」の名前は能の「シテ方」(主役)に由来すると言われます。
仕手(して)あるいは仕手筋(してすじ)とは、株を買い集め短期間に大きな利益を得ることを目的に、 大量に投機的
売買を行う者のことを言います。。英語のSpeculator(投機家)と同様な意味を持ちますが、摘発が厳格でない事を
逆手に脱法・違法まがいの手法を取り入れ価格操作をおこなう不正な売買筋のことを「仕手」と呼ぶことがあります。
■概 要
仕手は通常、数億〜数百億円の投資資金を武器に、様々な投資知識を利用して、利益を挙げようとします。
個人一人だけの場合もありますが、複数人の投資グループで、計画的に行う場合が多いようです。
仕手筋が株価吊り上げに動くと、その動向は一目瞭然に分かるほど、株価が急変動します。
力のある仕手筋は多くの投資家の注目を集め提灯買いがつくようになります。
■仕手株
仕手株とは、仕手筋が利益を挙げるために投機的な取引の対象となりやすい株式のことを指します。
主に、株価500円以下の低位株で発行株数の少ない小型株がそのターゲットになる事が多く、対象となりやすい
のは優良企業ではなく、むしろ投資対象としては難しいような銘柄を密かに買い集めます。
長期低迷して振り向きもされていなかったような銘柄が、大した理由もなく突如として暴騰した場合には仕手介入
銘柄として専門家や投資家達にも判断されるようになります。
■仕手戦
仕手戦とは、仕手と呼ばれる投機家同士が、売りと買いに分かれて争い、投機的な売買で利益を得ようとする
マーケットでの戦いをいいます。
安値の株を大量に買い続けて株価を急激につり上げる買い方と、割高と思う水準に上げている株を大量に売り
続けて株価を叩き落とそうとする売り方、双方の激しい争いになるのが仕手戦です。
以前は売りに強い仕手の相場師もいて、売り買いの激しい相場の攻防が見られましたが、 近年では市場参加
者の増加や海外資本の流入などにより、大規模な仕手戦は見られなくなっています。
■仕手筋の手口
仕手筋は、あまり経営が思わしくなく、長期的に株価が低迷している銘柄に、狙いをつけるケースが多いようです。
業績は低迷していても、資産内容等はチェックし慎重にターゲットを絞ります。
ターゲットが決定しますと、一気に買い集めるのではなく、静かに少しずつ市場の噂になりにくい様な単位で、ある
程度の期間をかけて買い集めます。そのために、「風説の流布」や「見せ板」などの違反行為を駆使しつつ、株価
を低く維持します。
仕手を仕掛けるにはまず種玉を集めることが必要になります。資本金や浮動玉の比率にもよりますが、小型株
でも一定ののゾーンで予定の株数を集めるのに最低3ヶ月は要します。出来高も少なく低迷している銘柄ですか
らまとまった投げでも出ない限り、一気に種玉を集めることは出来ません。
一定の玉を時間をかけて買い集めますと、売り物も次第に途切れて来ます。
種玉の買いが完了がしますと、ここから株価の吊り上げが始まります。一定の水準での売り物は買い集めていま
すので、第一段の上げを仕掛る段階では上値は軽く、急騰を演じます。
出来高を膨らませるために仕手参加のグループと売買を繰り返し、値上がり率上位に浮上させ、出来高急増銘柄
としても注目を集めるように仕掛けます。
この段階になりますと、仕手を成功させるために業界新聞に情報を提供して書かせたり、ネット上での書き込みも
激しくなります。 また一部証券会社の自己売買部門のディラーが参加し、目先の利く個人投資家も参戦して来る
ようになります。
業界誌やメルマガ、ネット掲示板などに本格的に情報を流し、提灯買いを誘います。買いが買いを呼び株価は更に
急騰して行きます。株価が短期で急騰しますと、株価水準が割高になってきたと思う投資家は信用の売りを仕掛け
ます。この急騰する上昇局面では信用の買い残も増加し、同時に株価の割高感から信用の売りも急増して来ます
こうして取り組みに厚みが出て来ますと、買い方は売り方の踏み上げを狙って、さらに株価の吊り上げを狙っていき
ます。市場でも取り組み妙味銘柄として注目を集めるようになります。
急騰した後、相場をもう一段上に持っていくため意図的に売りを出し、冷やし玉を入れるなど、過熱感を和らげたり
また、東証から注意銘柄に指定されないよう細心の注意を払いながら最後の仕上げに持っていきます。
カラ売り筋は、株価がさらに上昇するにつれ、逆日歩が発生するようになり損失覚悟の買戻しを入れるようになりま
す。その買いで株価はさらに一段高となっていきます。 この状況になりますと、売り方の敗北が鮮明となってきます。
暴騰した仕手株の中には5倍・10倍となった銘柄もあります。
仕手株が急騰する局面では材料だけで仕手化した場合と、取り組み妙味から仕手化する場合、その両方を併せ
持って仕手化する場合などがありますが、注意しなければならないのは出来高回転率です。
急騰する局面で出来高も急増して行きますが、高値圏で浮動玉が100%回転すると注意が必要となります。この
段階では通常大商いとなっていますが、浮動玉が150〜200%の回転に達しますと危険水域に達します。
このことは流通する浮動株は、全てが高値圏で売買されていることを意味します。仕手筋は最後の売り抜けを
図る局面となっています。
出来高回転率は浮動株数と発行株数の両方で見た方が、より分かりやすいと思います。
仕手筋の売り抜け相場が終了しますと、出来高も細り大相場の反動から急落するというパターンを繰り返します。
調整に転じますと値幅整理も厳しく、また日柄整理も長期に亘るケースが多くなります。
仕手株の場合、特に上昇期間・上げ幅・出来高・出来高回転率等注意する必要があるといえます。
■仕手グループ
仕手集団には、大小様々なグループが存在します。
◆背後に政治家、企業、実業家、金融機関、裏金、街金、宗教団体などがいて、さまざまな目的から資金を
集めるグループ。
◆自らの資金でもって単独で「仕手戦」に挑むグループ。
◆投資顧問会社などを使ってお客の金を集めた後、特定の銘柄を買い集め、上得意のお客(上級会員)の
利益を確保させるグループ。
◆大口投資家数十名で投資グループを結成し、それぞれが手口を散らして種玉を集め仕手戦を仕掛ける
グループ。
◆その他のグループ・・・
そのやり方も千差万別で、大きな資金を動かし莫大な利益を狙うのが仕手グループです。
■近年の著名な相場師
■山崎 種二(やまざき たねじ、1893年12月8日 - 1983年8月10日)は、日本の相場師・実業家・教育家。
山種証券(現SMBCフレンド証券)、株式会社ヤマタネの創業者であり、米相場と株式相場において成功を収める。
1920年代から米相場に手を染め始め、石井定七や伊藤ハンニを向こうに回して成功を収めた。専ら売り方に専念
し、米相場において「売りの山種」として有名だった。1939年に米穀配給統制法によって米穀商品取引所が廃止さ
れると、株式相場に転進。1944年には山崎証券を創業し、買い方に回って「買いの山種」として成果を収めた。
■石井久(いしいひさし、1923年5月13日 - )は、日本の実業家。立花証券の父として知られる。
弁護士を志して上京するが、警視庁警察練習所に入所、のち昭和22年(1947年)3月をもって24歳で巡査となる。
警視庁を退官ののち昭和23年(1948年)6月に東京自由証券株式会社に入社、株式新聞の記者などを経て、昭和
28年(1953年)3月29歳のときに石井株式研究所を創立する。同年9月に江戸橘証券株式会社を創立、昭和32年
(1957年)6月には立花証券株式会社を買収し江戸橘証券とこれを合併、4年後の昭和36年(1961年)10月には同社
の取締役社長に就任、昭和63年(1988年)12月には同社取締役会長に就任する。その後平成12年(2000年)の6月
をもって同社取締役相談役に就任、現在にいたる。
清水一行の作品のひとつたる経済小説『大物』のモデルともなった。平成元年(1989年)には高額納税者番付で
第2位となった。また同年に私財を投じて設立した財団法人『石井記念証券研究振興財団』は、現在も株式市場や
証券市場の研究に対する助成金の給付、また同分野の学生や研究者に対する奨励金の支給などを行っている。
■是川銀蔵(これかわ ぎんぞう、 1897年7月28日 - 1992年9月12日)は日本の投資家、相場師。
激動の時代に翻弄されながらも、時には目の前の金をドブに捨てることも厭わない信念と人間味にあふれた生き
様は、まさに最後の相場師の称号に値する。
相場師として市場で話題となったのはすでに晩年となった昭和50年代に入ってからで1976年の日本セメント、1979年
の同和鉱業、1982年の不二家、1983年の丸善石油、平和不動産の株買い占め、仕手戦で名前が知られた。最も良く
知られたものは1981年から1982年にかけての住友金属鉱山の仕手戦であった。
1983年に発表された高額納税者番付では申告額28億9090万円で全国1位となった。
最後の相場師と言われたが、生活は質素であり、若い頃に育った大阪市に多額の寄付を行うなど社会福祉事業にも
力を入れ、1979年には私財14億円を拠出し是川奨学財団(交通遺児等奨学金:大阪府)を設立した。
■加藤 ロ(かとう あきら、1941年? -)は1980年代に株投機(仕手筋)集団「誠備グループ」を率いて「兜町の風雲児」
と呼ばれた相場師。
この業界では、伝説的人物として知られる。2003年、株式研究の会「泰山」を立ち上げ、業界に本格復帰。
現在も、加藤が手掛ける銘柄は「k筋」「k銘柄」などと呼ばれ、今なお強い影響力を持つ。
早稲田大学商学部をトップで合格し、トップクラスで卒業する。黒川木徳証券の歩合外交員として活躍、ここで説得力
のある弁舌と、明晰な頭脳、また人間的魅力で顧客を獲得していった。特に総会屋を通じて、大企業の経営者、政治家
に近づいたと言われる。ヂーゼル機器株の仕手戦で、笹川良一の信頼を得てから、更に力を付けていった。
加藤ロは、顧客の人望が厚く、医師・社長・政治家などの約800人の大口投資家を糾合し、「誠備グループ」と言う
名の投資家集団を結成した。
1980年頃の活動は、小型株に投機する「兜町最強の仕手筋」として注目を集めていた。特に、株式市場を支配する
四大証券、野村・日興・山一・大和を目の敵にし、「個人投資家主体の市場へ変えよう」と力説。加藤崇拝者が増大し
最盛期には会員が4000人を超えた。破天荒な新しい時代の相場師として、「兜町の風雲児」とマスコミも大いにはやし
立てた。
特に、誠備グループが全力投入した「宮地鉄工所の仕手戦」は有名であった。同社は、同グループにより買い占めら
れ役員の派遣を受けた。加藤が手掛けた銘柄はどれも大きく値上がりし話題を呼んだ。1980年の所得は7億円を超え
たと言われた。
人望のある仕手筋としての顔を持つ反面、裏社会を後ろ盾とした側面があると言われている。
官民共同の加藤包囲網により1981年2月、東京地検特捜部に逮捕され、「所得税法違反」という罪名で実刑判決を
受けたが、もちろん東京地検の真の目的は顧客名と黒幕を吐かす事であった。厳しい取調べで吐くだろう…との予想
だったが加藤は断固して顧客名を明かさなかった。
この事から、さらに男を上げ、出所後も業界に復帰する事となった。加藤の顧客は、大物政治家・大物経済人・著名ス
ポーツ選手・著名芸能人がズラリいたとされ、加藤が口を開けばみな失脚したであろう、と言われた。
2年半小菅の東京拘置所に収監されたが1983年8月保釈。1988年東京地裁で判決が下り、起訴事実の主要部分が
退けられ加藤側の「実質無罪」となった。判決の日には多くの加藤ファンが傍聴席に詰め掛けたといわれる。
この後再び兜町に復帰。稲川会会長・石井進と組んで、「バブル期最後の戦い」といわれた、本州製紙の仕手戦を仕掛
けた。しかし、石井の病死などで加藤を支える人脈が崩壊、1990年にはバブルも崩壊し、株の熱気も一気に冷めた。
さらに、証券大手と総会屋の癒着や証券大手と大蔵省との癒着問題が表面化し、関係者が次々逮捕・辞任し、一層
株式市場は冷え込んだ。
その後は影を潜め、一時は「加藤は死亡したのでは」との噂も流れたが、1995年に「新しい風の会」を設立。2003年
には株式研究の会「泰山」を立ち上げて、証券界に本格復帰した。泰山とは道教の総本山がある中国の山の名。
一般に、加藤の仕手グループはネット掲示板などでは、「k筋」と呼ばれている。加藤が手がけようとしている銘柄は
「加藤銘柄」「泰山銘柄」「マルk」などと呼ばれている。
■著名な投資家
糸山英太郎
日本航空やテレビ東京の個人筆頭株主としても知られる大富豪。各セクタの代表的銘柄を保有している。
元衆議院議員。3回当選。1996年、任期途中に辞職した。
昭和17年東京生まれ。20歳で外車販売の日本記録を達成、その後、株式相場で数々の大勝負を仕掛け、若くして
証券史上にその名を残す。主著「怪物商法」「太陽への挑戦」「日本青年革命」「金儲け哲学」など。
投資家としては、中山製鋼所を舞台とした名古屋の近藤紡との大仕手戦に勝利し、鮮烈なデビューを飾る。
1974年7月参議院全国区に32才の最年少で当選し、政治家への道を歩みだす。その後1983年衆議院に転じる。
政界引退後、 新日本観光等の会長職に就任、東京都港区にある自社ビルのザ・イトヤマタワーには、自らも居住する。
糸山政経塾を主宰し湘南工科大学の名誉総長及び名誉教授も務めるほか、国内最大手の航空会社である日本航空
の個人筆頭株主であり、エグゼクティブアドバイザーでもある。東京都知事の石原慎太郎とは親友である。
隅田 浩
極東証券のトレーダーとして常勝伝説を作った後、自身のファンドを立ち上げた。日経平均先物の売買高のシェア
が大きく、カリヨン証券(インドスエズ証券)を通して売買することから、「インド」或いは「ヨン様」と呼ばれている。
2005年8月からの上昇相場で敗北を喫した。
村上世彰
アクティビスト・ファンド、並びにM&Aコンサルティングの元代表。2006年6月5日にニッポン放送買収で証券取引法
違反で東京地検に逮捕され、現在裁判で論争中。
通称「村上ファンド」を創設した人物。現金や遊休優良資産を抱えていながら有効活用していない会社の株式を取得し
資産を有効活用し企業価値を上げるよう提案などを行う、株主を軽視する経営者に対しては株主総会などで経営陣を
批判・叱咤することなどから、「もの言う株主」として注目を集めた。
三木谷浩史
楽天創業者。楽天代表取締役会長兼社長兼フュージョン・コミュニケーションズ代表取締役社長執行責任者。
兵庫県明石市出身。
ライブドア前社長・堀江貴文、サイバーエージェント社長・藤田晋らとともに「5人の若手起業家」と言われ、2000年
ごろから注目を集めた。
ヴィッセル神戸(Jリーグ、以下「神戸」)と東北楽天ゴールデンイーグルス(プロ野球、以下「東北楽天」)のオーナー
を務める。
六本木ヒルズ族の代名詞とされる。東京放送買収問題で注目を集めている。
堀江貴文
ライブドア元CEO。ニッポン放送買収に対し騒動を起こした。2006年1月に発生したライブドア事件で証券取引法
違反で東京地検に逮捕され、現在裁判で論争中。
この間、 2005年8月16日に衆議院の解散にともなう総選挙において、自民党から広島6区で出馬したが落選。
ライブドアに投資した個人投資家の期待を裏切った。
B・N・F
東京都港区在住の個人トレーダー。
みずほ証券によるジェイコム株大量誤発注事件で一躍有名になった個人投資家。スイングトレード、デイトレードなど
の取引手法を得意としている。提出が義務付けられている書類以外においては本名を一般に公開しておらず、テレビ
などに出演する際はインターネット上で用いているハンドルネームの「B・N・F」を名乗っている。「ジェイコム男」とも
呼ばれる。
トレード手法
個人資産
2000年に、学生時代のアルバイトで稼いだ160万円からスタートし、2007年4月時点の個人資産は約165億円。
2005年の年間所得は、109億3208万7288円。2006年はライブドアショック前に約20億、その後で約30億を稼いだ。
2006年3月の収益は11億9956万7503円であった。
儲ける日も損する日も、1〜2億円くらいは当たり前のようである。2006年、140億円の資金によるトレードに「大きな
ストレス」を感じており、80億円程度まで減らす必要を感じているらしい。
トレード手法
スイングトレードでの資産運用が得意だが、PERなどの指標は全く見ない(但し機械受注・雇用統計等の重要な指標
各国中央銀行の動向・為替市場・商品先物市場・アメリカを始めとする海外株式市場の動きを見ているといわれている)
デイトレード的な逆張りスウィング・押し目買い中心らしい。
運用資産が増大してからは、Core30などの大型株を重点売買する。
判断基準
判断基準は、「感覚というより慣れ。トータルの値動きへの洞察力が、最も大事。日経平均や先物市場の動きを見て
いる」とのこと。
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